2023年5月14日(日)スプリット観光、トロギール旧市街観光、ネウム散策
2023年5月14日(日)11,033歩
08:30スプリット観光10:30--約35km--11:30トロギール旧市街観光13:30--約160km--17:00ネウム散策(ボスニアヘルツェゴビナ)17:30--約65km--19:30ドゥブロヴニクGrand Hotel Park(クロアチア)
⑦スプリットの歴史的建造物群とディオクレティアヌス宮殿(クロアチア)
ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316?年)の宮殿がそのまま旧市街地になった。
ローマ帝国が滅亡し、7世紀頃、近郊のサロナを追われた異民族が大挙入り込んできた。
宮殿の基礎部分はそのままにして、その上に建物を増築していった。
295~305年に建設、ロマネスク様式の大神殿、鐘楼57m、宮殿の地下
1979年、ディオクレティアヌス宮殿と周辺のスプリト歴史地区を世界部遺産に登録した。
ディオクレティアヌス宮殿の地下施設・皇帝のセラー Googleより
中世の建築上の地下室の役割は、宮殿の上部を支えることで、
地下と地上階は同じ作りになっている。
地下室は倉庫やワインやオリーブオイル造りにも使用された。
都市化が進むとゴミ捨て場として使われた。
宮殿の上部をしっかり支える列柱
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼 9:07
「絶景のクロアチア・スロベニアの旅8日間」の参加者全員で記念撮影 9:12
ディオクレティアヌス宮殿の前庭(Vestibul) 9:18
皇帝の私邸の玄関の役割をしている。ドーム状で音が反響する。
CDも売っていた。
クラッパ(Youtube)
Peristil広場 コリント式の柱 9:25
グルグール・ニンスキの像(Monument to Gregory of Nin) 9:44
後方:The bell tower and the Chapel of the Holy Arnir
グルグール・ニンスキの像 9:42
左足の親指を撫でると願いが叶うと言う、親指がピカピカに光っている。
⑧古都トロギール(クロアチア)
周りを城壁に囲まれた小さな島、本土とチオヴォ島は橋で結ばれている。
トロギールの起源は紀元前の古代ギリシア時代、
聖ロヴロ大聖堂47m、ロマネスク様式、ゴシック様式の建造物群
1997年、世界文化遺産に登録。
鐘楼の1階はゴシック様式、2階はヴェネチアン・ゴシック様式、
3階は後期ルネッサンス様式となっている。
建築開始は13世紀、完成したのは17世紀、そのため様々な建築様式が合わされている。
トロギール地図
市庁舎前のドゥルギ広場 11:34
犯罪者を縛り付けて見せしめさせるところでポーズ。
市庁舎前の裁定所 11:35
正面壁の上部に天秤ばかりを持ったギリシャ神話の法の女神「テミス」の像。
正義の像として、左手の天秤は「公平・平等」、
右手の 剣は「公平な裁判によって正義を実現する という強い意志」を表している。
幸運と機会の神
カイロス(kairos)は、ギリシャ語で実行「決断」の時を表す。
クロノス(chronos)は定量的な連続して流れる時を表す。
幸運の女神には前髪しかない、後頭部はハゲで髪をつかもうとしてもつかめない。
「好機はすぐに捉えなければ、後から捉えることはできない」という意味。
トロギール旧市街のある島とチオヴォ島はチオヴォ橋で結ばれている。
船舶の泊まっている奥にカメルレンゴの砦が見える。
トロギール(クロアチア)13:30--約160km--17:00ネウム(ボスニアヘルツェゴビナ)
クロアチア本土とペリェシャツ半島を結ぶペリェシャツ橋Pelješac Bridgeを望む
Slivno付近(クロアチア)ペリェシャツ橋 16:13
Slivno付近(クロアチア)16:16
クロアチア/ボスニアヘルツェゴビナ国境検問所(Granični prijelaz Neum) 16:20
⑨ネウム(ボスニアヘルツェゴビナ)
1718年のボザレヴァッツ条約の緩衝地としての名残、21kmの海岸
ネウム Googleより
クロアチア/ボスニアヘルツェゴビナ国境線
2022年7月26日、クロアチア本土とペリェシャツ半島を結ぶ
ペリェシャツ橋Pelješac Bridge(左側)が建設され陸続きになった。
貿易港としてドゥブロヴニク(当時はラグーザ共和国)は他の港ベネチアやザダルなど一つの国として絶大な力を持っていた。
15世紀にオスマン・トルコ帝国がやってきた。ボスニア王国やセルビア王国が陥落する中、ドゥブロヴニクは、トルコに貢物をすることでトルコ側になる。
1699年、ラグーザ共和国はクロアチア本土にある2つの小区画の領地(ネウム)をオスマン帝国に売り、ベネツィア軍とオスマン軍との戦いに巻き込まれるのを避けた。
そしてオーストリア・ベネチアとオスマン帝国は、1718年のパサロヴィッツ条約で
ダルマチア地方を占領するベネチアとオスマン・トルコ側のドゥブロヴニクが
直接的に接するとまた紛争が起こると考えて、その間に少し緩衝地を作った。
その緩衝地帯は、ユーゴスラヴィアになってからも共和国の境界線として残り、ユーゴスラヴィア解体の後も国境として残った。緩衝地帯として2大勢力の争いが起こらないように、港として使い難い場所が選ばれた。ネウムは大きく飛び出したプリェサック半島に出口を塞がれた形になっている。
地元の人向け用に保存食品が多く、棚にはガラガラであった。
クロアチアの飛地ドブロブニクに行くのには、昨年の7月まではボスニアヘルツゴビナの
国境を2度通過しなければならなかった。
2022年7月26日、クロアチア本土とペリェシャツ半島を結ぶペリェシャツ橋が
建設され陸続きになり、そのためネウムの街は寂れて来ている。
クロアチアのマグロの養殖について
クロアチアなどアドリア海を挟んだバルカン半島は小さな島も多く、
天然資源の豊富な国であり、マグロ養殖にも適した環境を持っているが、
生食文化の無い国ではツナ缶への加工が主流であった。
90年代の民主化に伴いオーストラリアで養殖を営んでいたクロアチア人が帰国し、
日本というパートナーを手に入れマグロ養殖を営み85%以上を日本に輸出している。
クロアチアはメキシコ、マルタに次ぐ日本の第3位の養殖マグロ輸入国になっている。
メキシコの約半分程度の輸出量を持ち、2位マルタを追い抜く勢いで成長を続けている。
舌の肥えた日本人を納得させるには、高水準のマグロを養殖する必要があり、
クロアチア養殖マグロはイワシやニシン、サバなど現地の新鮮なエサを与え
2年半から3年畜養し、味や加工技術の高い高品質路線を行い出荷している。
まだ現在は、刺身でマグロを食べる現地人はまだ少ないので環境や生エサにこだわり
品質の高いマグロを生産する事はできる。
刺身に向いているかどうか、現地の人間には判断が難しい。
クロアチアでは、トロより赤身の方が需要が高く、価格も赤身の方が高価である。
調理法ではグリルが人気、ステーキやBBQが好まれている。
2014年、日本企業がクロアチアマグロ養殖業者を買収し、
年産1000トンを輸出するマグロ養殖事業を運営し
日本の技術を投入する事で事業の効率化・品質の向上を目指している。
ネウム17:30--約65km--19:30ドブロブニク(クロアチア)Grand Hotel Park
ネウム側からドゥブロヴニク側クロアチアへの国境検問所 17:07
Zaton Doli Border Crossing
クロアチア/ボスニアヘルツェゴビナ国境検問所 17:12
Dubrovacho Primorje付近のBistrina Bridge 17:20
Dubrovacho Primorje付近 17:38
ドゥブロヴニク・Dr. Franjo Tuđman Bridge 18:04
ドゥブロヴニク・Science Park Dubrovnik 18:10
ドゥブロヴニク・Gliser ONB Sveti Vlaho 18:11
Grand Hotel Park本館(クロアチア)18:14
Grand Hotel Park(クロアチア)位置 Googleより
Grand Hotel Park(クロアチア)Googleより
Grand Hotel Park別館に連泊 18:17
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