2023年5月15日(月)~17日(水)ドゥブロヴニク旧市街観光
2023年5月15日(月)~17日(水)⑩ドゥブロヴニク旧市街(クロアチアの飛地)
アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する。
ドゥブロヴニクを擁した中世の「ラグーサ共和国」は、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、
ヴェネツィアと共に5つの海洋共和国に数えられ、15世紀から16世紀にかけて発展した。
アドリア海の真珠、1667年大地震、1991年内戦、スルジ山412m、独立戦争展示館、
大聖堂、聖母被昇天大聖堂、スポンザ宮殿、フランシスコ会修道院、聖イグナチオ教会、
総督府(文化歴史博物館)、海洋博物館、城壁、ピレ門
ドゥブロヴニク旧市街 Googleより
1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって
7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。
1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって
7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。
バロック様式とロマネスク様式の回廊が共存している
フランシスコ会修道院にある1317年創業のマラ・ブラチャ薬局 9:39
プラツァ通りからスルジ山方向の側道 9:43
ドゥブロブニク大聖堂 9:58
ドゥブロブニク大聖堂・ステンドグラス 10:00
ドゥブロブニク大聖堂・パイプオルガン 10:13
ドゥブロブニク大聖堂・パイプオルガン 10:13
スルジ山ロープウエイ強風のため運休 10:15
女性がドゥブロブニク、獣がベネチア、オスマントルコ
外的には従っているが、内的にはドゥブロブニクが資金で操っているという比喩
フランシスコ会修道院 10:41
スルジ山412mロープウエイ(Googleより)
強風のため運休
ドゥブロヴニク旧市街城壁・ピレ門 DUBROVNIK PASS 9:35
2023/05/15 13:23:40発行 1-Day Pass €35.00
DUBROVNIK PASS購入後、メールでPDFファイルを受け取る。
ドゥブロヴニク旧市街地図(地球の歩き方より)
後方:ミンチェタ要塞とスルジ山412m
城壁の周囲は1,940mの長さがある
Kula sv. Marije付近
ドゥブロヴニク旧港(Porat Dubrovnik) 14:34
ドゥブロブニク大聖堂 14:36
ドゥブロヴニク旧市街から市営バスでホテル付近まで戻り夕食する場所を捜した。
マグロのゴマまぶし 19:01
Fish & Seafood Restaurant - CASA
Uvala Lapad Beach 20:33
Fish & Seafood Restaurant - CASA前のビーチ
2023年5月16日(火)
ドゥブロヴニク旧市街、スルジ山
The bombing continued well into 1992
ドゥブロヴニク旧市街は1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争で
セルビア・モンテネグロ勢力(ユーゴスラビア人民軍 (JNA))によって7ヶ月間包囲
(ドゥブロヴニク包囲)され約7000発の砲撃により約7割の建物に多大な損害を被った。
ユネスコの危機遺産リストになったが5年で復旧した。
屋根瓦や城壁も昔と同じ色や形にしたが、よく見ると色が違う。
砲弾による被害状況説明版の右下部の被害が少ないのはセルビヤが割譲を密約した
組織に譲渡するため砲撃しなかったという。
スルジ山ロープウエイが強風のため運休していたので、10:30発の市営バスで
スルジ山中腹のBOSANKAまで行き、約1.7㎞(約20分)歩くことにした。
No.17ルート バス
No.17ルート バス時刻表 PILE-BOSANKA
シソ科の顕花植物の一種で、アルバニア、キプロス、ギリシャ、イタリア、トルコ、
および旧ユーゴスラビア諸国に自生している。
風雨がひどいのでここで引き返した
アザミ 11:15
エニシダ(マメ科)の花 11:21
遊歩道(Scenic walk Bosanka - Dubrovnik)11:32バス終点PILE前のDubrovnik CableCar乗場近くのバス停で降りた。
風雨のためスルジ山ロープウエイや観光船が運休になった
ドゥブロヴニク城壁近くの波
妻から「なにやってんのよ~」と言われている夫
Grand Hotel Park観光バス出発17:27、Dubrovnik空港へ
Dubrovnik旧市街を道路から見る(Kupalište Sv. Jakov付近) 17:34
ドゥブロヴニク空港21:00--Turkish Airlines TK440 --23:50 Isutanbul
2023年5月17日(水)5,152歩
Isutanbul空港 2023/05/17 0:15
Isutanbul空港 2023/05/17 1:10
Isutanbul 02:20--Turkish Airlines TK198--19:25羽田空港
Isutanbul空港 2023/05/17 1:10
Isutanbul 02:20--Turkish Airlines TK198--19:25羽田空港
羽田空港--横浜・東名高速・海老名・圏央道(中央道集中工事で大渋滞)--秋川
23:30 自宅着ユーゴスラビア紛争
Yugoslavia2006 Googleより
ユーゴスラビア紛争:1991年3月31日 - 2001年11月12日 (10年7ヶ月1週5日間)
1.スロベニア独立戦争:1991年6月27日 - 7月7日(1週3日間)
2.クロアチア独立戦争:1991年3月31日 - 1995年11月12日 (4年7ヶ月12日間)
3.ボスニア紛争:1992年4月6日 - 1995年12月14日(3年8ヶ月1週6日間)
4.コソボ紛争:1998年2月28日 - 1999年6月11日(1年3ヶ月2週間)
5.プレシェヴォ渓谷危機:1999年6月12日 - 2001年6月1日(1年11ヶ月2週6日間)
6.マケドニア紛争:2001年1月22日 - 11月12日(9ヶ月3週間)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)、6つの共和国(スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)、5つの民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人)、4つの言語(セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語)、3つの宗教(カトリック教、正教、イスラム教)、2つの文字(ラテン文字とキリル文字)を持つ1つの国家(ユーゴスラビア)と言われていた。
パルチザンの指導者であったヨシップ・ブロズ・チトーが、1943年からユーゴスラビア王国からユーゴスラビア社会主義連邦共和国に共産主義者同盟書記長となりまとめた。
しかし1980年5月5日にチトーが死亡してから、国内に異民族排斥運動が起こり分裂が始まった。現在7つの共和国(スロベニア、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ)になった。
しかしまだコソボ紛争はセルビアとコソボで続いている。日本政府は2008年にセルビア共和国に遠慮しながらコソボをコソボ共和国と認めたが、まだ承認していない国が多くある。
セルビア共和国やボスニア・ヘルツェゴビナ国内でも分裂して自治州が出来ているところもあり、民族、宗教、言語が異なると紛争が絶えない。
かつて駐在員の頃、現在のセルビアのベオグラードを訪ねてから、分裂後のユーゴスラビア各国を訪ねるのは50年以上経った。
弾痕の跡が多く修復されたが、コソボ紛争もセルビア間ではまだ完全には解決していない。
日本は2008年にコソボを共和国として認めたが、紛争は無くなっていない。
日本も戦争に巻き込まれない様にしないていけない。
⑪コトルの自然と文化歴史地域(モンテネグロ)
風雨のため1日自由行動の時、訪問予定していたが行かれなかった。
12世紀から14世紀にかけて建築された城塞都市。
ローマカトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にある。
中世都市が最も良い状態で保存されている地中海都市の1つ。
1979年「コトルの自然と文化歴史地域」として世界自然文化遺産に登録。
1978年大地震、ロシアの富豪・ロシア人観光客が多い。
モンテネグロ:黒い山の意味
シュコダル湖(モンテネグロ):ヨーロッパ最大級の鳥類の保護区、
ラムサール条約「国際的に重要な湿地」登録
コトル港の周囲にある印象的な城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、
コトル市街地 Googleより
聖ルカ教会 Googleより
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